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何かの残骸

メモです。

縁切り神社その後

日記

縁切り神社 - 何かの残骸

前の日記書いた後、なんやかんやでバタバタしてて、今現在はまたすっかり平和なので、消化するために簡略的にぼかしてメモ。

ほぼ縁が切れたと思っていた相手E(仮名)が、お人よしの宗教家Sさん(仮名)を騙してSさん経由でこちらに接触しようとしてきたので、Sさんと平和な話し合いの末に『Eには手を貸さない』と約束してもらってお帰り頂く、という出来事があった。Eとは直接なにかあったわけじゃないからセフセフ。

なお、SさんはEを宗教に勧誘しようとした結果、逆にEに手玉に取られていた模様。どこの宗教かは聞かなかったけど、Sさんの宗教大丈夫だろうかと他人事ながら心配に。

 

ちょっと今回の事で思った事。

縁切りも含め、ガチで神頼みしちゃうような人間の大半は、できる限りの手を尽くしたのに事態が好転しない、もう神頼みくらいしかできる事残ってない、っていう状況になって初めて願掛けに行くと思うんだよね。その頃にはもう気力も削り尽くされてて判断力も鈍ってたりして、最悪の選択をしてしまう事もある。

一般的にご利益があると言われている神社は大抵が観光地。神頼みついでに観光したり美味しい物食べたりして、それが気晴らしになって気力も回復して、また冷静に問題に向き合えたり、他の手段が見えるようになるかもしれない。その後、今までの積み重ねが実を結んで、タイミング的に、神頼み効果あったー!ってなるんじゃないかな。

だから、最悪の事態になる前に気晴らしに旅行にでも行って一度問題から距離を置いてMP回復しようぜ、っていうのが神頼みで、事態が好転したら頑張ったご褒美とお祝いに旅行にでも行こー!っていうのがお礼参りなのでは。

私、本気で神様にお願いしたのってこの一度だけなんだけど、今回の事があって、神社への参拝やお礼参りってそういう古人の知恵なシステムの一面もあるのかな?って思った次第です。

ただ、ほんと何やっても長年状況が改善しなかったのが、お参りした後に劇的に解決に向かったのは事実ではあります。自分では何もしないで『神様頼んますよ~』っていうんじゃなくて、自分ができる事をした上でお参りするのがいいのかな。

そういやまだお礼参り行ってないんだよな。どこか落ち着いたタイミングでお礼参り行きたい。行きたいお店もあるので(主にごはんと食べ物)。